>今朝の最低気温14.4度(04:55;さいたま市観測点)、快晴。
>おはようございます。早朝(といっても7時頃)には、薄雲の広がる空でしたが、今はからりと晴れた朝です。
>私の「2台のピアノのためのスピカ」にたくさんの気持玉をいただいています。ありがとうございます。
>いま土星とスピカ(乙女座α)がお互い寄り添うように輝いています。眺める絶好のチャンス。
>表面温度が高いために、天文学的には青白い(スペクトル型はB型)と表現されますが、実際に夜空で輝くスピカは純白のドレスをまとった美しい女神のイメージです。
>地球から見たスピカは1等星で、これはもちろん明るいのですが、恒星の本当の明るさを表す「絶対等級」ではマイナス3.6等星(可視光で)という明るさです。
>恒星の絶対等級というのは、全ての星を10パーセク(32.6光年)の距離においた時の明るさです。太陽の絶対等級は5等星ですから、スピカがいかに明るいかが分かります。(1パーセクは年周視差が角度の1″となる3.26光年。年周視差は、地球軌道の直径だけ離れた2ヶ所から眺めたときの星の位置の差。おもに近傍の恒星などの距離を表す単位として用いられます)
>星の明るさを表す「等級」も地震の規模と同じくマグニチュードと言います。星のマグニチュードは数字が1増えると約2.512分の1暗くなります。数字が5増えると光度が100分の1になります。
>つまり、1等星と6等星(肉眼の限界等級)の明るさの差は100倍です。歴史上最初に1等星から6等星までを定めたのは古代ギリシャのヒッパルコスで、知ってか知らずか分かりませんが、全く見事な判断でした。
>スピカは太陽に比べて-2、-1、0、1、2、3、4、5と8段階差がありますから約1600倍も明るい星ということになります(どなたか再計算してください)。
>スピカという言葉の意味は「麦の穂」。和名は「真珠星」。こちらのほうがぴったりです。
>春の星と言えば、なんといってもうしかい座αの「アークトゥルス」が圧倒的な存在感(全天で3番目に明るい恒星)なのですが、天体少年だった子供の頃、近所の屋敷森の木々の間から、この星が昇ってくると、その異様な柿色のようなオレンジ色と強い輝きが怖くて(とにかく、子どもの頃は何でも怖かった)アークトゥルスの光が届かない物陰に隠れたくなるほどでした。
>というわけで、レグルス(しし座α)が好きな方もいらっしゃるかも知れませんが、私にとっての春の星は「スピカ」です(ちなみに春の大三角形を形づくっているのは、アークトゥルス-デネボラ(しし座β)-スピカ)。
>スピカの位置については下記ページが分かりやすいと思います。
>地震情報(日本域におけるM5.0以上、あるいは最大震度4以上の地震についてお知らせします)
日付が変わった直後の24日00時07分頃、青森県東方沖(北緯41.3度、東経142.1度)を震源とするM6.0、最大震度5強の地震がありました。
東日本大震災直前と状況がますます似てきています。イメージトレーニングを欠かさずに。強い地震の発生時にどのような行動を取れるかが、全てを決めることになるかも知れません。いつ、どこにいても落ち着いて行動するためには、どのようにすればよいかが分かっていることが必要です。
>気象情報
台風第2号(サンヴー)は、フィリピンの東海上(日本の真南)にあって、ゆっくりと北上しています。
>観測史上1位の値 更新状況(閲覧可能なのは今日だけです)
観測史上第1位を更新した観測点はありません。
>今日のFM番組から
・午前10時 名曲のたのしみ(再)ラフマニノフ その音楽と生涯(22)
・午後2時00分 クラシックカフェ
・午後7時30分 ベストオブクラシック 北ドイツ放送交響楽団の貴重音源(4)ヴァント生誕100年
ブルックナー「交響曲第8番 ハ短調」
ウェーベルン「管弦楽のための5つの小品」
>5月24日の過去のできごと
1543年 ポーランドの天文学者、ニコラウス・コペルニクス没。
1686年 ポーランド生まれの物理学者で、華氏目盛り(中国読み表記)に名を残すガブリエル・ファーレンハイト誕生。
1974年 ジャズ・ジャイアントのデューク・エリントン没。
1922年 作曲家の別宮貞雄(べっく・さだお)誕生(2012年1月12日没)。
1926年 北海道の十勝岳が大噴火、死者144名。
1960年 前日に発生したチリ地震の津波が日本の太平洋沿岸に到達。
1974年 アメリカのジャズミュージシャン、デューク・エリントン没。
1976年 超音速旅客機「コンコルド」がロンドン-ワシントンD.C.間の定期運行を開始。
1980年 JOC総会でモスクワオリンピックのボイコットを決定。この愚かな決議のために人生が大きく変わってしまったアスリートたちがいたことでしょう。アフガニスタン侵攻の非を問うならば、もっと平和的で効果的な方法があったはずです。