朝の定期便 2012-09-02(日)
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>今朝の最低気温22.6度(03:56;さいたま市観測点)、晴れ。
>おはようございます。涼しい風の吹く朝でした。
>朝、晴れていたかと思えば、10時過ぎには急に強い雨が降るというような不安定な天気となっています。
>さいたま市観測点では、今年7月17日に記録した日最高気温37.2度が、これまでの最高です。
>確率論的には、9月以降に最高気温が更新される可能性は低いと考えられるでしょう(過去の例から見ればゼロではないけれど)。
>私は小学校高学年の頃、屋根上にあった物干し台に「とむりん私設気象台」を構えていました(夜になると「とむりん私設天文台」)。
>そこに手作り風速・風向計を設置して(誕生日に買ってもらった乾湿計は屋内)、毎日の気温・湿度・風向・風速を記録していました(そこで培われた記録付けの習慣が現在の太陽光発電の毎日の記録付けに生かされ、15年間続いています)。
>高価なために小学生では手に入らなかったのが気圧計でした(補正の不必要な水銀気圧計は形式によって15万円とか50万円とかするはずです)。
>膨らませた風船の長径か短径の変化を測れば気圧が分かるのではないかとも考えましたが、当時のゴム風船は沢山の微小な穴から空気漏れを起こしていて無理でした(今ならいろいろな方法があるのですが、当時の私の貧弱な発想ではそれが限界)。
>現在、作曲工房の階段ギャラリーにはドイツのバリゴ社製の気象計(アネロイド気圧計内蔵)とスウェーデンのスクルーフ社製の「水柱式気圧計」があります(ウラノメトリアがヒットしたら次は水銀気圧計だぞ!)。
>今朝、朝食後に家族みんなが「2012年高校生クイズ」の録画にハマって見入っていたのですが(日頃全くテレビを見ない“風”と“たろ”までが)、そこで出題された「日本最初の天気図の作成者は?」という質問に、小学生の頃の思い出が一気に蘇ったわけです。
>当時読んだ気象関係の書物の記憶をたぐると、最初の天気図はとてもシンプルで、低気圧を表すLの文字と高気圧を表すHの文字があったことが思い出されました。
>天気図は軍事情報で、翻訳にあたって気団や前線など軍事用語がそのまま持ち込まれ、それが現在に至っているということだったと思います。
>しかし、その作成者の名前(外国人)をどうしても思い出せない。
>ところが高校生たちは「クニッピング」と答えていました。
>いやあ、なんと彼らが眩しく、頼もしかったことか。すごいぞ高校生。日本の未来は大丈夫。そんな気がしたのでした。
>地震情報(日本域におけるM5.0以上、あるいは最大震度4以上の地震についてお知らせします)
>気象情報
上空の大気が不安定になっています。外出なさる方は必ず傘をお持ちください。雷にも要注意です。
>観測史上1位の値 更新状況(閲覧可能なのは今日だけです)
多くの観測点で、9月の最高・日最高気温が更新されています。
>今日のFM番組から
・午前7時20分 ビバ!合唱 作曲家ファイル 西村 朗(オン・エア終了)
・午前8時10分 吹奏楽のひびき “混合” アンサンブルの楽しみ(オン・エア終了)
・午前9時00分 名演奏ライブラリー クライバー親子の芸術(1)エーリヒ・クライバー
親子揃って名指揮者でした。
・午後2時00分 きらクラ!
・午後6時00分 現代の音楽 N響ミュージック・トゥモロー2012から(1)
・午後7時20分 ブラボー!オーケストラ 東京都交響楽団 第736回定期演奏会から(2)(指揮:大野和士)
バルトーク「管弦楽のための協奏曲」
同 「弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽」から第3楽章(指揮:モーシェ・アツモン)
・午後8時20分 リサイタル・ノヴァ 成田達輝(ヴァイオリン)
>9月2日の過去のできごと
1905年 清が科挙を廃止。598年から1905年まで、なんと1307年間も続いたとは知りませんでした。もっと昔に廃止されているとばかり思い込んでいたからです。思い込みはよくない。
1910年 フランスの画家、アンリ・ルソー没。
1913年 思想家、哲学者、美術評論家で、東京美術学校の設立に多大な貢献をした岡倉天心没。
1930年 ロシアの作曲家、アンドレイ・ペトロフ誕生。
1982年 宮崎県日向市のリニア実験線で磁気浮上式リニアモーターカーが、世界初の有人走行に成功。
1995年 チェコの指揮者、ヴァーツラフ・ノイマン没。
1997年 ナチスによって強制収容所に送られて生還した経験を描いた「夜と霧」で知られる精神科医・心理学者のヴィクトール・フランクル没。
2006年 元豪華客船『ステラ・ポラリス号』(伊豆でホテルとして係留されていた「スカンジナビア号」)がスウェーデンへの曳航中に潮岬沖にて沈没。